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日々の出来事や思ったことをアレコレと。
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タイトル通りなんですが、給食費を払わない親が増えているみたいですね。
TVニュースで取り上げられてるのを見て驚きました。
高級外車を乗り回し、携帯代に何万円も使ってるのに、給食費は払わないって
文部科学省に報告がきてるんだそうです。

「義務教育だから払いたくない。」
「給食を出せと頼んだ覚えはない!」
「給食を止められるものなら止めてみろ!」

なぁ~んて言ってる親がいるそうですよ・・・。

義務教育と給食費の関係性がわからないし、
給食を出さなかったら出さなかったで文句言いそうだし、
止められると思ってないからすごんだりするわけで・・・。

なんというか、だんだん日本人全体の民度が低くなってそうで心配なわけです。

給食を作っている人達と給食費は関係なくて、
単に材料費で徴収してるだけ
なんですよ。
学校の給食を食べた人ならわかるでしょうが、
一回の給食に色々な食べ物が使われています。
あれ、個人で作るとなるとめちゃくちゃお金かかりますよ。
それをものすごく安く提供してるわけですから、給食って凄いもんです。
食べ物の材料費ぐらい払いましょうよ・・・。

給食がなければないで、払わない親って子供のために毎日早起きで
栄養バランスを考えながらお弁当をせっせと作る人達なのでしょうか。
ニュースを見る限りだと、とてもそんな方々には思えません。

よくよく考えると、この未払いの親が子供の頃って、
ちょうど高度経済成長期辺りだったりしますよね。
・・・これって偶然でしょうか。私にはそうは思えません。
豊かな生活が生み出した結果なのだろうと思っています。



また、最近、小学校の子供達って携帯を持つのが普通っぽくなっちゃってます。
ちょっと前までは携帯なんてなかったのに・・・
私の子供の頃なんか、何も持っていないのが当たり前でした。

これも少し前に問題になっていましたね。
授業中に携帯が鳴ってて五月蝿いから、教師がその時に没収したら
親から「一ヶ月分の携帯代を払え!」なんてクレームがきたそうで・・・。

そもそもの問題なんですが、
小学校の子供に携帯を持たせることの意義ってなんでしょう。
ちょっと前までは携帯なんて無くても生活に不自由しなかったのに、
今は携帯がないと不自由になってしまったということでしょうか。
それほど生活様式ががらっと変わってしまったようには思えないのですが・・・。

考えられる理由としては「子供が不審者に連れ去られる。」とかですかね。
・・・でもよく考えてみてください。不審者に連れ去られた状態で、
「助けて。」なんて子供が電話したりメールしたりできるものでしょうか。
そんな状況になったら、まずこわくてそれどころではないでしょうし、
せいぜい身代金等の連絡先として、
相手側に都合の良いように利用されるのが関の山です。

「塾の帰りに連絡するために使う。」と考えるのも納得できる理由ではありません。
私も幼少時代は車でないと通えない距離の塾に通っていましたが、
塾が終わる時間というのは決まっています。それが大幅に短くなったり
長くなったりするなんてことはまず考えられません。
迎えに行く時間というのは、予め決まった時間なわけです。
待ち合わせ場所もしょっちゅう変わるなんてことはないだろうし・・・
やはり用途としては適当ではないと思っています。



少し前には考えられなかったようなことが、今、色々と問題になってきたりで驚きです。
これからも、予想だにしなかったことがどんどん問題になってくるんでしょうね・・・。 




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先日、俳優の丹波哲郎さんが他界されました。
私は世代が違うこともあり、ブラウン管でほとんど見ることはなかったわけです。
見た記憶では「霊界が~・・・」と言っていたことぐらいかな、やっぱり。
知名度が高かったことから察するに、
なんにしろ人々の記憶に残る俳優だったのでしょう。

ニュースではどこのTV局も簡易的に丹波さんの過去の映像を編集し、
放映していました。
【007】などにご出演されたほどの経歴な方だそうで、
凄かったんだろうなぁ・・・と思いを馳せていました。



そこで気になった記者会見がありました。
タイトルにも名前のある江原啓之さんです。
スピリチュアルカウンセラーという肩書きだそうですね。

スピリチュアルという単語自体は元々あった単語です。造語ではありません。
【spiritual:霊的な、精神(的)の、神聖な、崇高な、宗教の、教会の】
TVとこの単語の意味を照らし合わせる限りだと、
霊的なものも含めた精神カウンセラーといったところでしょう。

この江原さん、通夜の場で
「きょうも(丹波さんの霊が)いらしてました。
お棺の上に座っててニコニコみんなの方を見てらっしゃったよ。」

なんて言っちゃってました。
亡くなる前夜にも丹波さんの霊と会ったと公言し、
「お亡くなりになる前の晩に出てきてくださった。
温泉につかっていて『一緒に入れ』といわれて、お別れなんだと思いました。」

とまで言っています。

・・・う~ん、これは流石にどうなんでしょう。
なんというか、死んだ人間を商売の活力にしているみたいな感覚を覚えました。
霊そのものを真っ向から否定しているわけではないし、
人には説明できない感覚とかはあるかもしれませんが、ちょっとこれは・・・。
(かく言う私も、近しい人が亡くなる前夜、
虫の知らせのような感覚を覚えたものですが・・・)

TVに出てくる人って、どうも胡散臭さ満点な香りが立ち込めてるんですよね。
TVで「これまでの過去で~といったことがありませんでしたか?」と言った質問も
なんだか的を大きくした質問にしか聞こえませんし、
そういった過去については少し調査すればわかってしまうことです。

そうなると今の探偵さんなどは優秀で、深いところまでしっかり探ってしまうでしょう。

前世がどうこうってのもバリエーションが少ない感じがしてしまいます。
全世界の人に前世を提示するとどのような分布になるのかは興味深いところです。
また、前世にも前世はあるわけで、そのまた前世の前世・・・と辿っていくと
一体どこに行き着くのでしょうか。

彼の出ている番組を見ていると、温和に話しながらも相手側の心に残る
内容を喋っているようですね。
少し話しなれた方でしたら、相手が『こう言ってほしい。』と
望んでいることを会話しながら探れると思います。

江原さんにはその能力があり、
それと霊とを絡めることで神聖なイメージを作り上げているんだと考えています。
彼は人の心を探り、相手が言ってほしいことを会話の中で察知し
話しているだけのイメージが拭えません。

死人に口なしです。
なんというか、TVを見てると江原さんは勝手なことを言ってる感じがしたわけです。
第6感とか感覚的なものは私自身あるとは思いますが、
それが目に見える(視覚化されている)としたら変です。
あくまで感覚だろうと思っているわけです。

彼が支持されるとしたら、それは単なるカウンセリング能力に関してであり、
霊とはまた別次元のものだと考えています。




それに関連して・・・細木数子さんも売れてますよね。
ちょっと前、何故彼女は売れているのかを考えてみたことがあります。

宗教を広めるための手段で、よく使われているスキームがあります。
それは最初に破滅思想を掲げ、人々の不安を煽った後、
自分の宗教はその破滅から逃れられる唯一の救済なのであると説く
わけです。
古臭いスキームではありますが、未だにこれ、よく使われてるみたいです。

ちょっと前に、古い友人に呼び出されたら勧誘に会ったという人が
録音機を相手にわからないように隠して録音し、
インターネット上に音源を上げていました。聞いててなかなか面白かったですよ。

その勧誘内容とは、
「あと10数年後に日本は破滅する。隣国からの侵入を許してしまうからである。
その時、救済されるのは○○(宗教名)を信仰してきた人である。
周りもそのときには○○を信仰し始めるが、当初から信仰してきた人のみが
救済されるのである。」

といったものです。なんで隣国が日本を侵略してきたら、
その宗教を信仰した人が助かるのかは言ってませんでした。
新興宗教の一つだったんですが、信者獲得に躍起になってるなぁと思ったもんです。

「(そのままだと)地獄に行く。」というのが、半ば彼女の口癖のイメージがあります。
これ、まんま破滅思想ですね。
そんでもって、「△△をすれば良くなる。」と助言する。これは救済策です。
私はTVを見ながら『なるほどなぁ~』と関心したもんです。

また、彼女が支持されるもう一つの理由として考えられるのは
【古き良き日本】を思わせる発言が多いからでしょう。

日本の高度経済成長期、家庭では男は仕事、女は家事に従事していました。
役割分担がきっちり分かれていたわけです。
だから男は仕事に専念することができ、経済は発展した。
帰る家は女がしっかりと用意してくれた。それが成長期にあった家庭の姿でした。

細木さんも、よく似たようなことを言ってますね。
それを聞いた高度経済成長期に生きていた子供や大人(今の年配の方々)は、
昔を懐かしく思うでしょう。
逆に、今の世の中はそれとは変わってきていますから、
若者達には割と新鮮な意見として聞こえるんじゃないでしょうか。




今は様相が変わってきています。
女性の地位向上運動が盛んになり、社会的地位が昔よりも獲得しやすくなりました。
相対的に世の中の父親の威厳はなくなっていくでしょう。
「父さん、今日は日曜日なんだから家を出たら?」なんてイメージですね。
折角の休みなのに、家に居ると迷惑みたいな扱いを受けちゃったりします。
普段は帰ってきたら皆寝てるから、作り置きの料理をレンジで温めて食べるなんて、
なんだか想像してしまう世の中なわけです。
昔はそういったことは想像すらできない感じだったのではないでしょうか。

また、家庭に両親がいないため、子供に愛情を与える機会も減ってる感じがします。
幼少期に受ける愛情は、後で大きくものを言います。
すぐ切れる子供、非行に走る子供・・・最近増えてきたのは偶然でしょうか。
(もっとも、これはまた別の理由も考えられますが・・・)

なかなか、男性・女性共に納得できる世の中って難しいですね。
ちょっと前までは、家庭はこうあるべきだという形が存在していましたが、
めまぐるしく変動する現代ではその考えではやっていけないのでしょう。
双方ともにどこかで妥協し、各家庭ごとに在るべき姿を構築していく・・・
提示されたものに従うのは容易いですが、
自分達で創り上げていくのは難しいことだと思います。
創り上げるには、個人個人がしっかりとした考えを持たなければいけません。
ですが現代では、段々と個人の考える力が低下しているように見えます。



う~ん・・・これからの日本、大丈夫かな・・・?




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さてさて、今回はこんなニュースが目につきました。



伊吹文明文部科学相は27日、報道各社とのインタビューで、
学習指導要領見直しの焦点の1つになっている小学校での英語必修化について
「まったく必要がないと思う。
美しい日本語を話せないのに外国語をやっても仕方がない。」
と述べた。

小学校での英語教育については3月、
中教審の外国語専門部会が必修化を提言する審議経過をまとめ、
親部会の教育課程部会で授業時間数などの審議を進めている。

伊吹文科相は中教審の議論について「結果は見なくてはならない。」
と尊重する姿勢も示したが、
「政治家として、今の小学校では必修で教えるべきことが教えられていないと思う。」
と小学校英語の必修化は不要とする考えを強調した。

さらに「(小学校英語は)やりたければ個人的にやればいい。
外国のことに興味を持つくらいを限度にとどめるべきだ。」
と自説を展開した。



良いこと言いますね~。共感します。本当にその通りです。
今の日本人は母国語である日本語もおろそかですからね。
(まぁ、私も人のことを言えた義理ではないですが・・・)

私はよく本屋に行くのですが、日本語関係の本がこれがまた多い。
いつも積み上げられてるイメージがあります。
(最近だと総理や外交、天皇などの本が多いかな)

「声に出して読みたい日本語」とかって一時期ブームになりましたよね。
齋藤孝先生が出してる本です。
未だにこの人は本出しまくってますね。本屋に新刊がいっぱいあります。

そのブームにあやかろうとしてか、一気に日本語関係の本が増えました。
最近だと「日本語どっち!?」とか出てますよね。
日本語ブームはピークは過ぎつつも、まだまだ健在なわけです。
そしてどの本を見ても、その多くは現代人の日本語の曖昧さを
暗に示しているようなタイトルなのが印象的です。

・・・まぁ、日本語が曖昧なのに外国語を習うなんてオカシイですよね。
まずは母国語。それから外国語習得でしょ。
これすら最近はままならない状態にありますし、
ゆとり教育とかやっちゃって学校での勉強時間が全体的に減っています。
その状況下で英語教育を小学校に導入?もうワケわかりません。


そういえば受験時代に、現代文の授業で「『文明開化』の亡霊」という
中村光夫さん(1911-1988)が書いた評論を扱いましたが、
その内容が今の状況を見事に言い得ています。

ちなみに文明開化とは、近代化=西欧化の図式の下に、
西洋文明をどんどん取り入れちゃおうとした現象のことです。

評論の内容は、大体以下の通りです。



明治時代の半ばすぎるまで、子供は意味もわからずに漢文の素読を行い、
小学校に入る以前に漢籍の手ほどきを受けてきた。
学校に入ってからも漢学塾に通い、
そこが人間形成の場として習慣づけられていたため、
「知識」を西洋に求めても、
教養、倫理は東洋に求めてきたのが明治人の常態であった。
漢字による人間形成がながい伝統を持つだけに、
西洋の表面的、断片的な性格をおぎなう精神の根をつくりあげてきた。
中国の古典は単なる書物でなく、人々の行動を律する規範として受けとられていた。

それに対し、戦後教育では国語や漢文は軽視されてしまった。
今日、古典は単なる知識の対象であり、現代人の精神活動とは無縁になってしまった。
戦後の教育が、
社会生活の当面の必要に応えることを中心として組織されるようになると、
その社会における価値や規範は西洋由来であり借りものだという事情も手伝い、
自国の過去との繋がりを一切失い、しかも外国の文化からも、
その本質的な生命をひきさったものしか得ていないという奇妙な状況が生まれている。



なんだか、昔の教育に現代の教育の悩ましさを打破する鍵がある気がしてなりません。
(大日本帝国主義に戻れってことを主張してるわけではないですよ。)

確かに英語は必要ですよ。国際社会には必要不可欠です。
そんなのはわかりきっていることです。
だけど、最近は先行きばかりに目が行ってしまいがちで、何か大事なことが
忘れ去られたまま「教育」という単語が一人歩きをしている気がします。


昔の使えそうなところ、良さそうなところは現代風にアレンジしてみる・・・
今一度、教育の歴史を回顧してみるのも必要なんだろうと考えちゃってるわけです。




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・・・と、中学・高校時代(私は中高一貫校でした)の友人が言っていました。

彼はその後にこう続けました。
「自分は偽善者だと思っている。
そもそも、『私は善の行為をしている』なんて考えてる奴はオカシイだろう。
そんな奴は、その時点で善人かどうかは疑わしい。
自分では偽善と思っていても、人から見れば善に見える。
それで十分だろう。良いことじゃないか。」

なかなかどうして、納得させられる意見だなぁと思います。

元々、彼は善とか偽善とか考えるような人じゃなかったんですけどね。
どこかで悟りでも開いたのか、それから少し変わった風に見えました。
話を伺ってみると、別にアヤシイ新興宗教にはまったとかじゃなく、
単純にあるときそう感じたっぽいです。

その後、その友人は大学に進学し、
在学中は大学のボランティア活動に従事していました。
夜の12時とかに帰ったりしてましたからね。
やる内容は色々あったそうですが、私が聞いた限りでは、
特に誰からも感謝の言葉を言われたことはなかったようです。
(まぁ、感謝の言葉を受けるのを前提にボランティアというのも変な感じですが)

大学側は、ボランティア活動に対して月に1万程度
各人に払っていたそうですが、彼はなんとそれを全部貯金していました。
「このお金は大学卒業後に親に返すお金。」だそうです。
なんだか格好良いですね。



・・・さてさて、ボランティアと言えば思い出されるのが、
最近随所で話題になっている募金活動です。
なんでも心臓病の幼い子がいるらしく、1億3600万円を募金で募っています。
アメリカで心臓移植手術をしないと駄目なんだそうですよ。

それだけ見ると、「あぁ、募金して助けてあげたいな。」と思うのが人情ってもんです。
しかし蓋を開けてみると、色々と不明瞭な部分も多いようです。

どうやらこの子供の両親、共にNHK職員らしいのです。
世間一般に、NHK職員は高給取りと言われています。

実際、NHKの職員給与額の総額が1383億円(平成17年度)に対し、
NHKの職員数は11851人(平成17年度)ですから、
単純計算すると平均年収は1167万円にも上ります。
二人揃えば2334万円です。
さらに父親が冬のソナタ担当職員であり、
50代のプロデューサーであることを考慮すれば
年収は二人で4000万円以上でもおかしくないだろうと一部では言われています。
そんなにもらってるなら募金を募る必要があるのかと、結構盛り上がってるわけです。

また、募金そのものに対する疑問点も多いみたいです。
1億3600万円の内訳には現地滞在費が含まれていたりと、
自費でまかなえそうな部分まで組み込まれている。
これには「?」と思いたくもなります。

救う会による目標金額は、
★移植医療費:9000万円
★医療予備費:3600万円
★渡航費:350万円
★現地滞在費:500万円
★事務局費:150万円
だそうですから、実際に医療には1億2600万円使われるってことですね。
手術が成功した場合は、保証金の8割である7200万円と使われなかった
予備費3600万円が返ってきますから、合計で1億800万円が病院より返還されます。
このお金が返還されたら何処にいってしまうのか。これも争点の一つのようです。

他にも色々と疑惑はあるみたいですが、インターネットでチラホラ観てみると
上記の内容までは確定的だとして随所で扱われているっぽいです。

・・・さてさて、前々からアメリカへ移植手術を受けるための
募金活動というのは行われてきたわけですが、
何故アメリカでないと移植手術が受けられないんでしょうか。
これには理由があるようですよ。

どうも、まだまだ日本は臓器提供者が少ないようで、
そういった医療システムが十分ではないようです。
だからアメリカに移植手術へと行くわけですね。
しかし、当然ですがアメリカでも臓器は有り余ってるわけではありません。
その状態で、移植待ちのアメリカ人に日本人が割り込んでくるわけです。
簡単に言うと、死ぬ人間が変わるわけですね。多大なお金を使って。
全体としては死ぬ人間が減ったわけではないようです。
いきなり割り込まれた人も、これは怒るでしょうね。生死に関わりますし。
当然日本人の印象も悪くなるでしょう。

こういった争論が起こらないためには、
★募金する人は、本当にお金がないのかを世の中に包み隠さず見せる
(最低限、親がまかなえそうな部分は支払う)
★日本でも医療が受けられるよう、臓器提供を積極的に行う
(迅速に移植手術が受けられるようなシステムを国内で構築する)
とかなんですかね。

考えさせられることは多々ありますが、確実に言えることは、
小さな子供に罪はありません。
そこがまた、この問題を難しくさせてしまっている感じがします・・・。
なんだかもどかしさの消えない問題ですね。




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私は家にいる間、その独り暮らしの寂しさ故か
テレビをつけっ放しにしていることが多いんですが、
最近はワールド・トレード・センター(以下WTC)のコマーシャルがお盛んなわけです。

以前、パール・ハーバーというアメリカの戦争映画がありました。
私は見てないんですが、見た人の話だと相当ひどい内容だったようです。
というか、大体内容は予想できたし見る気にもなれませんでした。
どうせアメリカラブな精神で作られてるんだろ・・・みたいな。

真珠湾では軍事施設以外攻撃を行っていない日本軍が
民間病院を攻撃していたり、アメリカ映画お決まりの恋愛要素も含めていたり

色々とオカシイ部分が散りばめられていて、まぁ、散々な内容だったらしいです。
国を問わず多くの映画評論家が酷評してますしね。
アメリカの有名な映画評論家まで酷評する始末。まぁ当然でしょう。
反米感情を持つ国で上映されたとき、日本軍が真珠湾を攻撃してるシーンでは
歓声が沸きあがっていたみたいですよ。

今回のWTCでは、主に二人の救助隊員にスポットライトを当てながら
救助に関わった全ての人々を描くのがコンセプト
らしいです。
ニコラス・ケイジの映画はよく見るんですが、今回のは見ないだろうなぁ・・・。
パール・ハーバー同様、どうせまたお決まりのアメリカラブな映画だと思ってます。
んでもって、随所に家族愛やら恋人愛やら入れてるんじゃないのかな。

WTCを題材にした映画なんて、出して大丈夫なんでしょうか。
イスラム社会にとってはまず間違いなく嫌な内容でしょうし、
遺族の方も、過去の辛い出来事に他人から土足で踏みにじられた
気持ちになるような・・・。
誰を対象として作られた映画なのか疑問なんですよね。
公式HPには【本年度アカデミー賞最有力候補!】と書かれてますが、
これがアカデミー賞を取ったら国外の批判が凄そうです・・・。
ともすれば国内からも・・・。

大体、9・11は起こっても仕方のないこと、いずれ当然起こるであろう出来事でした。
中東戦争やら湾岸戦争やらで、9・11とは比較にならないほど
イスラム社会の一般市民が犠牲になっています。
また、イスラム諸国で強い影響力のある国は親米だったりで、イスラム社会は
やられてもやり返しようがないわけです。いつも被害者。
そりゃ怒りますよ。

ただ、だからと言って9・11の行為を正当化しているわけではありません。
やっちゃいけないことなのはいうまでもないでしょう。
当然起こるべくして起こった出来事だと言っているだけです。誤解のないように。

その後、WTCがやられた、アメリカ国民がやられたというのを名目に
イラク戦争を起こす。
一部ではイラクの石油利権を狙った戦争だという意見まであるわけです。
そうだとしたら、強盗よりタチが悪いですね。
結局、アメリカが主張していたような大量破壊兵器なんてなかったわけで・・・。



そういえば23日に、アルカイダ系組織が米兵2人の遺体をトラックで引きずった後、
放火している動画をインターネットで公開しています。
上記のニュースだけ見るとアルカイダが悪く思えますが、
これは今年3月、イラク人少女が米兵に集団暴行を受けた後に
殺害された事件への報復
だという見方が強いようです。

その事件とは、イラクの米海兵隊員がイラク人少女の家に集団で押し入り、
主犯格の米兵が少女以外の家族を銃殺。少女をレイプした後、少女も銃殺し
その遺体に油をかけて燃やした事件
のことです。

9・11といい、この事件といい、いつもアメリカからやられた後に報復しているようです。
それを忘れて一方的に批判したり悪に仕立て上げたりするのはよくないと思ってます。
・・・しかしながら、報復の連鎖は負の感情しか生みません。
いつの日か、お互いがわだかまりなく手を取り合える時がきますように・・・。
と、白人女性が大好きな私は思いました。




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つい先日、国旗掲揚や国歌斉唱をしたくないっていう教師が裁判に勝訴しましたね。

こんな裁判が起こること自体が信じられません。
法相(法務大臣)も今回の判決はオカシイと思っているみたいで・・・まぁ、当然でしょう。
簡単に言うと、
国からお金を貰っておいて、「国旗とか国歌とか嫌なんで。」とか言ってるわけです。
国からお金を貰ってるんだから、せめて形式だけでも敬意ぐらい示しましょうよ。

思想信条の自由ですか?

信条を辞書で調べてみると・・・【堅く信じている事柄。信念。】だそうです。
ってことは、
思想信条の自由だから国旗掲揚や国歌斉唱をしたくないってのを言い換えると
『国旗掲揚や国歌斉唱は、私は断固拒否する。これは私の信念に基づいている。』
ということなのかな。
そう考えると、なんだか気持ち悪いですね。
かなり偏った考えと思われても仕方ないし、
そういう偏った人物がまだ幼い子供に教育を施す・・・なんとも嫌な世の中です。

こういう教師達を見ると、左寄り・北寄りの教師組合が
勢力をつけてきてて怖いなぁとか思っちゃいます。
そういった方達が反日を幼心に刷り込むわけですね。
日本嫌いの日本人を増やす・・・国の崩壊が見えてきそうです。

どこの国でも、公の場では国歌は歌うでしょう。
国に愛着のない先進国は日本ぐらいのもんです。
国歌も国旗も嫌だって・・・
そんなに嫌なら、日本を出ればいいんじゃないかなぁ。
そういった方達に限って、サッカーワールドカップでは日本を応援したり・・・
本当にわけわからない状況だったりします。

「国旗、国歌は国民に強制するのでなく、
自然のうちに国民の間に定着させるというのが国旗・国歌法の制度趣旨である。」
とか判決で述べてるけど・・・
反日教育の組合が日本で最大級の規模を誇っているのに、
どうやって日本に誇りが持てるようになるのでしょうか?
教えてほしいです。

メディアも新聞紙も、左寄り・北寄りのものが存在しますよね。
そういうのがわかってて読む分には問題ないのでしょうが・・・。



ここ10数年、私が見るに日本はかなり左傾化している感があります。
「日本は悪いことをした。」という人に、「どの点が悪いことなの?」と聞くと、
「それはわからないけど、とにかく悪いことをした。」・・・
正直、こういった子が現在の日本の大多数なイメージがあります。
いやいや、どこが具体的に悪いと言われてるのかぐらいは知っておこうよ・・・みたいな。

先月の靖国参拝はかなり話題になりました。
何かそういったキッカケを持って、もうちょっと世の中にも目を向けてほしい。
「そもそも何が論点なのか。」
「双方の言い分はどうか。そしてそれは本当に納得のいくものなのか。」
そんな風に自分で考え、調べてみるのが大事だと思います。

生徒の模範となるべき先生も、
今や中立的な立場で話すかどうかもわかりゃしない
こんな世の中ですからね。




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思えば代ゼミが始まりでした。
今では良い参考書がないか、本屋に立ち寄る日々です。ちょっと趣味を通り越してるかもしれません。
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