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日々の出来事や思ったことをアレコレと。
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出来事関連や指導関連のことが多いので(特に出来事関連が多いですね)、
たまには自分のことも書いてみようかなぁ・・・と思います。



「○○は父親似だね~。」
昔、私が子供の頃によく言われていた言葉です。
皆さんも経験があるのではないでしょうか。
大体、男の子だったら父親似、女の子だったら母親似と
言われることが多い気がします。
(きちんと統計を取って裏付けしたわけではありませんが・・・
まぁ、無難なところだと思います。)

その言葉を言われる度に、ひねくれもの?の私はなんだか無償に
不快感を覚えていました。
(親もそのことは知っていました。)
当時は、なんだか言い表せないものが私に嫌な気分を生じさせていたのですが、
最近、やっとそのもどかしい不快感の正体がはっきりしました。



理由の一つとして、両親が離婚して私は父方に引き取られたことが挙げられます。
「○○は父親似だね~。」という人は、そのほとんど全てが
私の家庭事情を知っている人達でした。
なるほど、再婚したとはいえ母親に似ているというのは変な話です。
似ているというには父親を挙げるしかありません。
表現するには当たり前の通過儀礼に対しての不快感だったのでしょう。

そしてもう一つ理由があります。
こちらの方がより理由たらしめているのですが、
「○○(子供)は父親(母親)似だね~。」という表現は、
自分という【個】をなんだか見ていないと思うのです。

例えば、私が「父親似だ。」とある人から表現されるとして、
その表現した人物は私を見ているのではなく、
私という個を通して、その向こうにある父親の像を見ていると思うのです。
この像というのは、単に似ているという現実世界の像と、
話し相手としての会話世界の像との両方を含んでいます。
どちらにしろ、そのとき、そこにある私という【個】は単なる中継点に過ぎません。

私の場合ですが、その後は必ず父親が口をはさんできました。
・・・いや、よくよく考えてみると、その場における私の存在は、
相手側にとって会話を繋げたり円滑に進めたりするための
一つのだしに使われているのだ
と考えたほうがしっくりきます。
そしてその後、「父親似だ。」と私を表現した人物と父親との会話が始まるのです。

これは別に私でなくとも、そのような情景を想像すれば十分に伺えます。
「親似だ。」と表現する人物がいれば、おそらくまず真っ先に親が話し出すでしょう。
それを皮切りに、再び会話は進められるわけです。



小さい頃からの疑問に対し、
(それが正しいかどうかは別として)自分なりの答えを見つけると
なんだかすっきりします。
自称ひねくれもの?の自分としては(今では多少丸くなったと思います・・・)
挙げた理由にひねくれ加減がいい感じに入っている気もしますが、
『前ばかり見て進んでいくのではなく、たまには後ろを振り返ってみるのも
悪くはないなぁ・・・』と思う今日この頃なのでした。




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